暦 |
年齢 |
囲碁事蹟・家族 |
明治42年 |
0歳 |
1月25日、父十作、母菊江の長男として、神戸市水木通8丁目に生まれる。 |
大正6年 |
8歳 |
10月、父方祖父、太田栄次郎の遺言により、父も實を棋士にすることを決意。
小学3年生の時、小野彦太郎の紹介で鳥居鍋次郎に九子で指導を受け、師事。 |
同7年 |
9歳 |
春、神戸神港倶楽部で行われた鳥居鍋次郎の二段昇段披露会の席上、鴻原義太郎四段、久保松勝喜代四段に紹介され、鳥居の推薦で両氏に師事。 |
同10年 |
12歳 |
春、久保松の推薦で鈴木為次郎六段と師弟の盃を交わす。
11月25日、鈴木の許で修業するため上京。久保松の紹介で、ニ所の関部屋から本郷の鈴木の下宿先や芝桜川町の方円社、麹町の広瀬平次郎七段の許などへ通う。 |
同11年 |
13歳 |
鈴木六段が神田の下宿に移ったのを機会に内弟子となる。六華会会員となる。 |
同12年 |
14歳 |
鈴木六段が稗聖会に参加したため、この年創立の中央棋院へ通う。
9月関東大震災 |
同13年 |
15歳 |
2月15日付けで中央棋院より入段を許される。
7月、日本棋院設立、初段棋士として参加。 |
同15年 |
17歳 |
春、日本棋院定式手合で昇段点を獲得、二段に昇段。夏、三段に昇段。 |
昭和2年 |
18歳 |
3月、四段昇段。1月〜5月掲載の東京日日新聞・大阪毎日新聞主催「新進打切棋戦」で十人抜きを達成。「怪童丸」のニックネームをつけられる。また、院社(棋院と棋正社)対抗戦では八人抜きを達成。 |
同3年 |
19歳 |
春期大手合で二等に入賞。 |
同4年 |
20歳 |
春期大手合で優勝。秋期大手合三等に入賞。 |
同5年 |
21歳 |
2月15日、五段に昇段。春、鈴木為次郎七段の許から独立。 |
同6年 |
22歳 |
10月10日、柴野美春と結婚。麹町五番町に所帯を持つ。 |
同8年 |
24歳 |
住居を滝野川区西ヶ原町に移す。翌年滝野川区上中里に移る。住居を滝野川に移すと同時に「仙友会」を創設。同時に、プロ棋士の養成に入る。3月29日、時事新報主催「木谷・呉清源十番碁」開始。
3月長女和子誕生。
8月、保養と『布石と定石の統合』の講述のため、信州地獄谷温泉へ行く。
呉清源を同地に招き、新布石について意見を交わす。
9月、東日・大毎主催「新進打切棋戦」で前田陳爾五段、報知新聞主催「込出敗退戦」で小野田千代太郎六段に黒番で三連星を布いたが、いずれも敗退。
10月4日、秋期大手合で長谷川章五段に白番で3度目の三連星を試み快勝。「新布石」の発端になる |
同9年 |
25歳 |
2月、六段に昇段。
5月、呉清源らと中国、満州、朝鮮の親善旅行へ出発。
12月、処女作『布石と定石の統合』(誠文堂新光社「現代囲碁体系所収」)を出版。
12月、次女順子誕生。 |
同11年 |
27歳 |
1月1日付けで、七段に昇段。
2月、七段昇段記念『新布石の針路』を日本棋院より刊行。
4月、読売新聞主催「勝抜き三番棋戦」で十人抜きを達成。この頃、大磯に転居。
9月、次女順子没。
12月、長男健一誕生。 |
同12年 |
28歳 |
6月、東日・大毎主催「本因坊名人引退碁」挑戦者決定リーグ開始。
夏、平塚に転居。プロ棋士養成のため「平塚木谷道場」を開設。
12月、次男明誕生。 |
同13年 |
29歳 |
4月、「名人引退碁」挑戦者決定リーグで優勝。本因坊秀哉名人の相手に選ばれる。
6月26日、芝「紅葉館」で引退碁開始。
7月11日、箱根「奈良屋旅館」へ移動。
8月14日、秀哉病気のため中断。
11月18日、伊東「暖香園」で再開。
12月4日、終局。木谷の五目勝ち。 |
同14年 |
30歳 |
9月、読売新聞主催「木谷・呉清源十番碁」開始。第六局で木谷、先相先に打ち込まれる。
12月、三女礼子誕生。 |
同15年 |
31歳 |
第一期本因坊戦(全日本選手権)本戦開始。第5位に終わる。
12月、父十作没。 |
同17年 |
33歳 |
5月、四女智子誕生。
7月、芝、美術倶楽部で「木谷会」発足(遠山元一会長)。 |
同18年 |
34歳 |
1月、八段に昇段(昇段点は前年に達成している)。 |
同19年 |
35歳 |
7月、応召。京城朝鮮第22部隊へ配属。
9月、除隊。
9月、五女信子誕生。 |
同20年 |
36歳 |
4月、木谷家家族、遠山元一別荘へ疎開(山中湖畔旭日丘)。
5月、日本棋院焼失。
7月、平塚空襲により木谷家焼失。 |
同21年 |
37歳 |
1月、「新夕刊」囲碁欄を新設。木谷・藤沢庫之助七段三番碁を掲載。この頃より本格的な地方回りの指導碁に出かけるようになる。 |
同22年 |
38歳 |
10月〜12月、第四期本因坊戦で岩本勲和本因坊に挑戦。五番勝負の結果、2勝3敗で敗退。
11月、三男正道誕生。 |
同25年 |
41歳 |
12月、第六期本因坊戦リーグで坂田栄男七段、長谷川章七段と三者同率となり決戦の結果、坂田七段が挑戦者になる。 |
同27年 |
43歳 |
4月、第七期本因坊戦リーグで木谷を含む五者同率となり決戦の結果、高川格七段が挑戦者になる。 |
同28年 |
44歳 |
5月〜7月、第八期本因坊戦で高川秀格本因坊に挑戦。2勝4敗で敗れる。 |
同29年 |
45歳 |
2月、弟子らと自宅庭でピンポンを行っている最中に脳溢血で倒れる。この後1年半の療養生活を送る。 |
同31年 |
47歳 |
第十一期本因坊戦リーグに復活。
5月、島村利博八段と同率決戦。島村八段が挑戦者になる。
12月、第二期最高位戦リーグで前田陳爾八段を破り、念願の九段に昇段。 |
同32年 |
48歳 |
1月〜3月、第二期最高位戦で坂田栄男に挑戦。3勝1敗でタイトル奪取。
4月、読売新聞主催「日本最強決定戦」で13年ぶりに呉清源九段と対局。
6月、第十二期本因坊戦リーグで藤沢朋斎九段と同率決戦。藤沢九段が挑戦者になる。 |
同33年 |
49歳 |
1月〜3月、第三期最高位戦に島村利博八段の挑戦を受け、五番勝負を3勝2敗で連覇。
3月、第五期日本棋院選手権で坂田選手権者に挑戦。三番勝負の結果、0勝2敗で敗れる。
6月、第十三期本因坊戦リーグで坂田栄男九段、杉山雅男八段と三者同率決戦となり、杉山八段が挑戦者になる。 |
同34年 |
50歳 |
1月〜3月、第四期最高位戦に坂田栄男九段の挑戦を受け、2勝3敗で敗れ、最高位のタイトルを失う。
6月〜8月、第十四期本因坊戦に挑戦者となり、高川秀格本因坊に七番勝負の結果、2勝4敗で敗れ、またもタイトルを逃す。 |
同35年 |
51歳 |
2月、第七回NHK杯争奪囲碁選手権に優勝。 |
同36年 |
52歳 |
4月、第十六期本因坊戦リーグに坂田栄男九段と同率決戦となり、坂田九段が挑戦者になる。 |
同37年 |
53歳 |
5月、四谷三栄町に「四谷木谷道場」を開設。
7月、日本棋院棋士会長になる。
8月、「木谷一門百段突破記念祝賀会」が産経ホールで開催。 |
同38年 |
54歳 |
12月、第十九期本因坊戦リーグで高川格九段と対局、対局後、二度目の脳溢血に倒れる。 |
同39年 |
55歳 |
2月、約50日ぶりに対局に復帰。
7月、第三期名人戦リーグ6勝1敗で挑戦を争い、最終局藤沢朋斎九段との対局中、血圧が急に上昇
六十九手で棄権負けとなる。 |
同40年 |
56歳 |
日本棋院理事に選出される。
10月、紫綬褒章を受章。 |
同42年 |
58歳 |
3月、木谷実選集『わたしの碁』(全三巻、日本棋院刊)の刊行開始。 |
同43年 |
59歳 |
7月、木谷實・美春夫妻、大倉賞受賞。
12月、第六期プロ十傑戦一回戦で本田邦久七段と対局。この対局が公式戦としての最終局になる。 |
同44年 |
60歳 |
1月、木谷實還暦祝賀会。
6月、日本棋院理事を辞任。
7月、日本棋院顧問に就任。 |
同45年 |
61歳 |
3月、「木谷一門二百段突破記念大会」がサンケイホールで開催。 |
同47年 |
63歳 |
8月〜9月、ハワイ棋院創立二十五周年記念囲碁大会が行われ、木谷一門でハワイを訪問。 |
同48年 |
64歳 |
7月2日、三度目の脳溢血に倒れる。 |
同49年 |
65歳 |
6月3日限り、「四谷木谷道場」を閉鎖。 |
同50年 |
66歳 |
4月、平塚杏雲堂病院へ入院。11月、帰宅を許される。
12月19日、自宅で逝去。同日、従四位、勲二等瑞宝章を受章。
12月28日、日本棋院葬。 |
同52年 |
没後 |
9月、「木谷實全集」(全五巻、筑摩書房刊)刊行開始。 |
同53年 |
没後 |
5月、「木谷實全集」完結。 |
平成3年 |
没後 |
6月3日、木谷實夫人美春、蜘蛛膜下出血により逝去。享年81歳。 |